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2007年10月

2007年10月10日 (水)

プロローグ

これから話していくことは、真実の話である。

この実際に私が体験してきた物語は、恐らく日本の中の大多数のいじめられっ子の 話であり、また、恐らく日本の中の大多数のヲタクの話であり、また、恐らく日本の中の大多数のモテない男の話であり、また、恐らく日本の中の大多数の気持 ち悪い男の話であり、また、恐らく日本の中の大多数の嘘つきの話であり、そして、恐らく日本の中の大多数の人生に絶望した男の話なのかもしれない。

しかし、それほどの状況で何故自殺しなかったのか、リストカットしなかったのか、殺人などに手を染めないのか、暴走族などに入らずまともになれたのか、全く持って不思議であるぐらい、呪われた人生であった。

学校ではいじめられ、気持ち悪いと敬遠され、トラブルをいつも引き起こし、全くモテず、中学校時代に至っては自殺まで考えた。高校でも。

中学校に入るまではまるで真逆だった。

暗雲は小学校高学年に既に立ち込めていた。私は、その神の教えとも言える予兆を無視した。その事によって、あの中二の夏、すべてが変わってしまった。

これから、今までのケリをつけるべく、少しずつだが、崩落していった自分自身の話をしたい。

別に読みたくなければアクセス拒否してもいい。私はそうされても何も気にしない。何故ここまでして(しかもあのアメーバブログに(※編注:現在は当方取得ドメインを拝借))書かなければいけなかったのか?それは後程でもゆっくりお話ししよう。ヒントなら…最近の国内情勢だ。

まあ、宜しくお願いします。

なお、荒らし防止のため、コメントはNGとさせていただきます。すいませんm(_ _)m。トラバも運営上の都合により、禁止させていただくこともありますので、予めご容赦願います。代わりに、アンケートフォームを使った調査等を考えてます。次回にでもご説明出来ればと。

2007年10月16日 (火)

全ての始まり

私は昭和63(1988)年7月、東京都中野区に生まれた。

幼稚園の頃なんか関係ない。ここではあくまでネガティブな面(それは、日本の現状とも結びつくようなものだ)を見せたい。

幼稚園はまあまあという感じだった、とだけは伝えておこう。

それでもって、「全ての始まり」は、奈良での"いじめの前兆"からだ。

批判を覚悟で書こう。私は、昔から偏食が多く、よくからかわれる(又は批判される)標的にされていた。当然だ。給食で、好きなものしか食べないからだ。

おっと、何故"奈良"なのかを先に書いておかねばならぬ。

実は私の親は自営業で、呉服屋を営んでいる。なお事情によりここでは敢えて現状は書かない(ただ、とんでもないことになっていることだけは確かだ。後程ゆっくり話したい)。

それで、奈良に本社があり、東京はあくまで支社だ。それで、親の都合で奈良に行くハメになってしまった。

それで、S小学校に入学したのだが、何故か断片的に記憶に残っていることがある(記憶力の悪い私が何故か記憶に残っている出来事だ)。

まず一つに先生にドンぴしゃに怒られたこと。これは話してもフツー過ぎるので省略(小学生じゃ当然か)。

次に給食の時、冷ややかな目線と共に国会議員の野次ばりに揶揄されながら残った給食を捨てに行ったこと。

そしてもう一つがパソコンとの出会いだ。

当時確かWindows98が出た頃か否かの頃だった(今後、Windows○○(○○はそのバージョン)のことをWin○○と略す)。

新しいものにはすぐ興味を示す私はまず小学校のパソコン教室に入った。

そしていろんな事をしながらパソコンを覚えていった。ただそれだけ。

ただそれだけなのに、今やプログラミング・画像、動画編集以外(後者は基本は何とかなるが、最近やっていない)は出来るようになってしまった。人間というものは凄いものだ。

一つのものに集中してしまった時は必ずそれにのめり込む私。それがその後の成績不振にも繋がっていってしまうが…。

続きを読む "全ての始まり" »

2007年10月28日 (日)

中学校…全ての分岐点(1)

まずはお断り。今回はまず長くなりそうなので、2回に分けさせていただく。

中学校は、まず一回受験し、落ちて、またもう一つの方を受け、受かった。

結局はそこへ行くことになった。同じ国立。勉強できない奴の物語、いや、"全ての終わり"の全てが、ここから始まろうとしていた。

一年は無難に過ごした。生徒会にも当選し、その時の候補者演説ではこう言った。

「これは、聖域無き学校改革です!」

と。

あのとき、悟れば良かった。これ程の順調な人生、あり得ないのではないか、と。

一気に調子に乗って、バカな手紙を出し、3人ぐらいと一時友情も断裂したものだ。

そんな中、本気で恋をした人がいる。

Yとは、一年の時、何らかの行事で一緒になったときに知り合った。

偶然手伝いに行ったときに、体育館の横の練習場か何かのところに彼女はいた。彼女は以前から服装などを度々注意されたりした問題児でもあった(案外。そうでもなかったら失礼)。

その前も気になった異性はいるのだが、全て自然消滅か、普通の友達程度で終わるかのいずれかだった。恋など、興味がなかったようだ。

しかし、Yは違った。ただ、初めて会った当時はそんなに気になる人物でもなかった。

2年生になって、それは一変する。

彼女は、以前はメガネだったものが、コンタクトに入れ替え、更にかわいくなったのだ。

その頃、生徒会も順調に運営できていた。「将来の生徒会長候補」とも言われてもおかしくはなかった。

そんな中で、一番も大異変が起きる。それは、"絶望"へのステップともなるとは、何も予想できずに…。

おっと、その前に修学旅行(というか、臨海学校か)の話でもしておきたい。いくつか以降の話ともつながりがあるからだ。

1年のキャンプはそれほど大きな事件もなかった。

2年の時だ。大きな事件とも言えなさそうだが、いろんな事が起きたのは確か。

この時、私も気になっていた女性(私と同じ小学校時代からの成り上がりだ。その後Yの登場などもあって普通の友達としてのつきあいに)と付き合っていた男がいる。

そいつと二人っきりではなすとき、みんなは一斉に部屋から出て、どんなことを話すか注意しながら聞いていたものだ。私は特に興味がないので、親に電話を掛けていた気がする。

おっと、ここでちょうどいいから親の話をしておかねば。私の親(特に母)は実に過保護で、よくほしいものを買い与えていた。父はよくある頑固おやじ。ただやや極端。

奈良に引っ越したのも、東京に再び戻ってきたのも、いずれも父の都合だ。一つはこの前も述べたとおり仕事、そしてもう一つは…病気。病気の話は後にして、仕事というのが自営業で、呉服卸をやっている会社の経営者である(これもこの前述べていた)。母はパートとしてその手伝いをしていた(どうも、時給770円ぐらいだったらしいが、これじゃあ労働基準法に違反だろう。ただ、奈良にいた当時は、である。この話はこの前偶然母の口から出た話だ)。

仕事の具合はって?「父がダメにした」と異口同音に語るとおり、全然ダメおやじだったようだ。仕事の出来ない人でもあった。私は余りそのことにタッチしていないので分からないが、どうも業務は最悪だったらしい。

母の過保護ぶりは未だに健在で、それに困りつつも信用してしまう(?)自分が怖い。

さて、話を戻そう。先に出てきた男の名はS。彼(奴といった方が妥当かもしれない)、そして父が、私の全てを奪い去っていく犯人になろうは、臨海学校当時、思いもしなかった。

臨海学校が終わった後だろうか、忘れもしない3月。"序章"が始まった。

続きを読む "中学校…全ての分岐点(1)" »

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