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2007年10月28日 (日)

中学校…全ての分岐点(1)

まずはお断り。今回はまず長くなりそうなので、2回に分けさせていただく。

中学校は、まず一回受験し、落ちて、またもう一つの方を受け、受かった。

結局はそこへ行くことになった。同じ国立。勉強できない奴の物語、いや、"全ての終わり"の全てが、ここから始まろうとしていた。

一年は無難に過ごした。生徒会にも当選し、その時の候補者演説ではこう言った。

「これは、聖域無き学校改革です!」

と。

あのとき、悟れば良かった。これ程の順調な人生、あり得ないのではないか、と。

一気に調子に乗って、バカな手紙を出し、3人ぐらいと一時友情も断裂したものだ。

そんな中、本気で恋をした人がいる。

Yとは、一年の時、何らかの行事で一緒になったときに知り合った。

偶然手伝いに行ったときに、体育館の横の練習場か何かのところに彼女はいた。彼女は以前から服装などを度々注意されたりした問題児でもあった(案外。そうでもなかったら失礼)。

その前も気になった異性はいるのだが、全て自然消滅か、普通の友達程度で終わるかのいずれかだった。恋など、興味がなかったようだ。

しかし、Yは違った。ただ、初めて会った当時はそんなに気になる人物でもなかった。

2年生になって、それは一変する。

彼女は、以前はメガネだったものが、コンタクトに入れ替え、更にかわいくなったのだ。

その頃、生徒会も順調に運営できていた。「将来の生徒会長候補」とも言われてもおかしくはなかった。

そんな中で、一番も大異変が起きる。それは、"絶望"へのステップともなるとは、何も予想できずに…。

おっと、その前に修学旅行(というか、臨海学校か)の話でもしておきたい。いくつか以降の話ともつながりがあるからだ。

1年のキャンプはそれほど大きな事件もなかった。

2年の時だ。大きな事件とも言えなさそうだが、いろんな事が起きたのは確か。

この時、私も気になっていた女性(私と同じ小学校時代からの成り上がりだ。その後Yの登場などもあって普通の友達としてのつきあいに)と付き合っていた男がいる。

そいつと二人っきりではなすとき、みんなは一斉に部屋から出て、どんなことを話すか注意しながら聞いていたものだ。私は特に興味がないので、親に電話を掛けていた気がする。

おっと、ここでちょうどいいから親の話をしておかねば。私の親(特に母)は実に過保護で、よくほしいものを買い与えていた。父はよくある頑固おやじ。ただやや極端。

奈良に引っ越したのも、東京に再び戻ってきたのも、いずれも父の都合だ。一つはこの前も述べたとおり仕事、そしてもう一つは…病気。病気の話は後にして、仕事というのが自営業で、呉服卸をやっている会社の経営者である(これもこの前述べていた)。母はパートとしてその手伝いをしていた(どうも、時給770円ぐらいだったらしいが、これじゃあ労働基準法に違反だろう。ただ、奈良にいた当時は、である。この話はこの前偶然母の口から出た話だ)。

仕事の具合はって?「父がダメにした」と異口同音に語るとおり、全然ダメおやじだったようだ。仕事の出来ない人でもあった。私は余りそのことにタッチしていないので分からないが、どうも業務は最悪だったらしい。

母の過保護ぶりは未だに健在で、それに困りつつも信用してしまう(?)自分が怖い。

さて、話を戻そう。先に出てきた男の名はS。彼(奴といった方が妥当かもしれない)、そして父が、私の全てを奪い去っていく犯人になろうは、臨海学校当時、思いもしなかった。

臨海学校が終わった後だろうか、忘れもしない3月。"序章"が始まった。

ある行事に出席していたとき、いきなり教室に教師が入り込んできた。

「お父さんが入院された」

…途端に、パニックになった。義姉だったか(私の家系の人間関係は非常に複雑で、この呼び方が間違っているかもしれないことをあしからず)、迎えに来た車で近鉄奈良駅まで行かされ、そこから新幹線で東京まで行くハメになった。

父が心筋梗塞になった。これが"病気"の正体だ。

東京に着いたのは夜遅くのことだった。そこから秋葉原駅に向かった。忘れもしない秋葉原昭和通り口。いまや大好きな幸楽苑、そしてヨドバシカメラマルチメディアAkibaへの近道となっているこの駅の出入口が、当時は悪夢への第一歩と踏み込む地獄の出入口であったことを、今でも鮮明に覚えている。

昭和通り口から出て少し歩いていったところに三井記念病院がある。父はこの病院に入院していた。

どうも、関係者の話によると、突然父の身に異変が起きたらしく、付き添いの男性(関係者曰く、その人は普段問題ばかり起こす人だったようだが、この時は見事な働きぶりだったように思う。私は一回お会いした記憶があるが、とても問題児とは思えない、しっかり者だったように記憶している。もし見ていて、事実と違っていたようならごめんなさい)が「近くに三井記念があるのでそこで見てもらいましょう」と言ったらしい。

その後、精密検査などを得て、結果は急性心筋梗塞。即入院、そして手術。悪夢の日が続いた。

「オーシャンズ13」のルーベンばりに、何とか生還した父だったが、しばらくは安静にせざるを得ず、病院には数日の間滞在せざるを得なかった。

その後、何とか自分だけは帰れることが出来たが、しばらくは不安な日々が続き、遂に最悪の事態に陥ってしまうことになった。

東京への転居。

それが全てを物語っていた。私は幾度となく反対した。しかし、親たちは聞いてくれるはずもない。

その頃、占いに凝っていた私はあるサービスで占ってもらった。それには、こう記している。

「親の都合などで転居せざるを得ないこともあります(当たってる…)が、それには素直に従った方が、よりよい幸運をもたらすでしょう。」

かなり端折って書いたが、こんな感じである。しかし、それに「素直に従う」事で、逆にその後の私の人生を崩落させていく道筋になってしまうとは、「占い」を信じていた頃の自分には思いもしなかった。

更に、追い打ちを掛けるかのような事態が私を襲う。

今まで生徒会で面倒を見てきてくれた先輩がある些細なことで私を見放し、生徒会への求心力が落ちていった。

それだけならまだいい。それだけではないのだ。

「"駆け込み需要"的な告白」、である。

これは、忘れもしない7月の話。

Yを呼び出し、校舎の裏側でプロポーズした。しかし、彼女の反応は…

「ごめんな。あたし、今彼氏おるから」

あっさりと負けた。まぁ、それはまだいい。

「誰と付き合ってるん?」と聞いたら、

「さぁ、誰でしょう?」

彼女らしい答えであった(当然か)。


さて、問題はこの後起きる出来事である。ここでSの登場だ。

あの告白から数日後、ある朝のこと。普段通り登校したら、友人に突然こう言われた。

「おい、N(私の名前だ)、SがYに告っている(=告白しているの意)で」

少しだけ空いた隙間。そこから教室を覗くと、確かにSがYに告っているのが分かった。

その後の結果、Sは前付き合っていた女性(それも、臨海学校であれほど意中だった女性)をあっさり捨て、Yも付き合っていた男を捨てた。

カップルになったのだ。

いつも思うが、世の中というのは冷酷である。捨てられた張本人もかなりショックだったろうが、一番ショックだったのは、他ならぬ私だった。

騙されたのだ。彼氏をあっさり捨てる冷酷非道な女に。

一番ショックでたまらなかった。恐らく人生で一番ショックを受けた出来事だろう。これ以上の屈辱を味わうことは、人生長しも、まず無いだろう。

その後、まるで逃げるかのように、東京へ引っ越していった。

最後にクラスメイトに残したメッセージは、

「俺の住所を知りたければ、以下のメルアドに連絡をくれ」

だった。

その後、(メルアド変えたとはいえ)今現在でも誰からもその返事は来ていない。

次回は、東京でのさらなる精神的追い打ちを話そうと思う。いじめの話も、ここで詳しく話したい。それでは。

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