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2007年11月20日 (火)

中学校…全ての分岐点(2)

中2の夏。悲しみの夏。

そして秋。

奈良で全てが崩壊した。これ以上、何を崩壊するのか、見通しも立たなかった。

しかし非道にも、それは確かに、崩壊していった。

精神状態もまた、その頃には既に、崩壊していた。

引っ越したところは、相撲の街、両国。正直、こんなに詳しくは書きたくない。だが、何故こんなに詳しく書いてしまうか。それは、後々の事件などにも関係してくる地名だからだ。私の周りでなく、マスコミで騒いでいるような事件。何故関係あるのかは、後々話そう。

恋に一度でも破れたり者、女に無頓着になる。

都会育ちである者、田舎に一度住んでいただけでいじめられる。

自営業の子の者、「=贅沢」イメージがつきまとい、いじめられる。

今私が思い浮かんだ造語だ。

あくまで有名人が作ったものでもない、まだ浅い経験上ながら、私の教訓だ(私だけの、だ)。

最悪の日々が続いた。

9月、世の中は2学期が始まる日。

私は緊張を抑えながら、転校先の公立中学の体育館を上っていく。

その頃、どう出迎えられたのかは覚えていない。紹介があったのは事実。だが、それ以上のことが覚えていないのだ。

それほど、いじめの傷は、癒えないもの、なのである。

正直、ここから先、高校までの話は非常に長くなる。是非、私の愚痴としか言えないような話ではあるが、お付き合いいただきたい。

余談だが、いじめといえば、最近自殺問題で社会問題化したネタとしても知られる。だが、その実態を赤裸々に語る人は数少ない。私もまた、いつか書こうと思っていたが、そのタイミングを逃し、今頃こうして書いている。今だからこそ言おう。未来の子供達の為に。

だが、早速ながら、残念なことを書かなければならない。

もし抑止力が効けど、いじめは絶対に無くならない、ということだ。

これは、人間の本質(これは、動物の本質(というよりかは本能)を見れば歴然としたことである。この問題は、そのまま「戦争と平和」という、スケールの大きい話にももつれ込む。戦争など、無くなりっこないのに、一部の人々(日本ではもはや殆どか)が「平和」という、無謀な事を平気で叫んでいる。

人間、すなわち動物は"闘う"生物である。人間は"理性"というものが備わっているが、その理性もやがて限界が来る。それが戦争や、殺人、いじめなどの"暴力"であろう(ここでは、誹謗中傷なども含ませていただく)。

この話は、特に原爆投下の惨害にあった広島・長崎や激戦区となった沖縄を含め、日本中が恐らく反発することは間違いないだろう。「暴力による解決など、意味がない」と。

だが、その批判など覚悟で、敢えて言わせていただく。暴力がこの世から消えることはない。

ここである格言(?)をご紹介しよう(ここから数行ほど、ある映画(現在公開中の映画)のネタバレがある。次の行で確認して、その作品をまだ見ていない方はこのフッテージを飛ばしてもいい)。

「インベージョン」という映画をご存じだろうか。

そのラスト、N・キッドマン演じるキャロルがD・グレイグ演じるベンのこの言葉を聞いてある人物が述べたこの言葉を思い出す。

「またバグダッドで死者多数のニュースか…(編注:申し訳ない、以降の字幕が記憶しきれていない)」

その言葉とは、以下の通りだ。

「この世から戦争といった暴力が無くなったとき、人間は動物でなくなっているのかもしれない」

実にこの言葉ほど、この主張が分かりやすく伝わる言葉はない。

おっと、余談が非常に長くなってしまった。人によっては今の話は非常に不愉快なものであったかもしれないことを先にお詫びする。ただここからは、是非上記の話も参考にしながら読んでいただけると幸いである。それは、後の話とも深く繋がる部分があるからだ。

…といっても、何から話せばいいのか…

そういえば、連絡帳みたいなノートが存在していたことを思い出した。

また映画の話で恐縮だが、「フリーダム・ライダーズ」という映画をご存じだろうか。

私はこの作品は未見だが、この「連絡帳」と同じようなアイテムを使っていた(ちなみに、この映画は実話からの映画化である)。

そこに、いろいろな悩みやその日の出来事などを書いていく。

何を書いていたのかは覚えていない。ただ、愚痴でも書いていたのだろうか。

そういえば、小学校の時も同じ様なノートがあったっけ。そこには、「学勝君」なる4コマキャラでも書いていたことを今でも覚えている。

奈良の時でもいじめは少しはあった。ただ、東京はそれ以上のものだった。

高校の時の方が精神的にかなり追い詰められた。ただ、その土台が、中学の時に築いていたことは、当時知る由もなかった。その日その日の事で、精一杯だったのだ。

「キモイ」「死ね」は朝飯前。「北京原人」等と呼ばれたときもあった。

正直、嫌なことがありすぎて、詳細な内容を忘れてしまうほどの勢いだ。

その理由(そうなった理由)を、今改めて自分に問い詰めてみる。

そうすると、一つの出来事にぶち当たる。

私は異常なほど短期で、性欲旺盛で(恐らく、人並みのものでは無かろう)、暴れ回る。

普通の人なら、こういう奴は「異常だ(crazy)」と思うだろう。

そう、精神の衰弱につけ込む差別だ。もはや障害者差別かもしれない。

…いや、障害者という言葉をむやみには使えない。今は精神障害者のことを「精神衰弱者」と呼んでいるからだ。

しかも、決して精神衰弱者と決めつけているわけではないのだが(しかも、検査はしてもらったが、その結果さえ分からないのに)…奴らはそう決めつけるとそういうレッテルを貼りたがる人種で、私もそのレッテルを貼り付けられてしまい、そのまま高校卒業まで汚名を着せられることとなった。

申し訳ないが、別の原稿内容の方が、もっと詳細に中学校時代のことを書かれていた。

次回は、本格的にその話をしていこう。

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