中学校…全ての分岐点(3)
壊れゆく毎日、壊れゆく人格。
中学校、そして高校時代、私は紛れもなく、そこで闘っていた。
ここ一ヶ月、更新できなかった理由は、最近になってようやくアルバイトに受かったということもあって、なかなかこのブログに手をつけられなかったというものだ。これもまたいざこざ話があったりするのだが、それは後にして、今ちょっと思い出したことがある。
そのバイトというのは、詳しくは申し上げられないものの(機密事項故だ)、IT関連の仕事で、ネット上のチェックみたいな感じのものである(関係者各位、この理由でも内容が具体的すぎると感じられたら直ちにご連絡下さい。当該部分を削除いたします)。
その中に、リストカットの画像もあったりする(仕事の関係上、致し方のないことだ)。
さすがに私はリスカ(リストカットの略)なんぞやってられないが(というか、やっている奴の脳内を調べたいぐらいだ)、飛び降りなら未遂まで行ったことがある。
今日は、そんな中学校時代の話。後編、東京編だ。話が行ったり来たりしていて申し訳ない。前の原稿(=前回分)の存在に気づかなかった私が悪い。今度こそ、本格的な話をしよう。
ただ、その前に、まずは奈良での後日談を一つ。
初めての恋。その相手、いや、"裏切り者"と最後に会ったのは、JR奈良駅の三井ガーデンホテルのある方の出口付近、広い道路を自転車で走行しているときだった。サングラスを掛けていた私だったが、道路にある歩道の上にいた奴ら2人には私の姿などお見通しだった。
私は手を振って応えはしたが、早くその場を離れようと、大森町付近の高架のある方まで走っていった。
ただ、その高架付近にはラブホテル(当時2軒あったが、今は1軒は閉鎖しているという情報もある。そちらには古臭い感じはあったからな…)。中学校時代からもう既に発情期になっていた私にとっては逆に嫌な場所でもあった。幸い、用事はなかったので家のある方へ帰ったものだが、この家とはもうお別れだ。
その後、受験準備の為同志社大学へ視察(?)に訪れるついでに行くまで、実に5年近く奈良とはお別れとなってしまう。
奈良の"あの家"は、今は賃貸となっている(ようだ)。骨董品も含め、全て売却対象、である。
東京での生活は、再びマンション生活。しかも、これまでで一番小さい部屋での生活となる。
当初は田舎者だからいじめられると思っていた。しかし、事態は、それを遙かに超えていた。
以前言われていたのはこれだ。「北京原人」。奈良での生活で、これまでに耐え難い言葉はなかった。でも、それはそのうち慣れていった。塾での話である。
ここで、塾の話を少々しておかねば。塾は、その時の状況を表すようにも思える場所である。なぜだか、悪い思い出ばかりが思い出される。高校時代に行っていた予備校では、ある先生の授業で「俺の授業から脱落した奴はブラックリストに載せて今後俺の授業は受けさせない。それと、もう一つ。絶対に第一志望には受からない」…これが、後に現実のものとなってしまった。
当時、第一志望は早稲田だったが、自分には環境が良くないと判断して志望変更した。それで受かれば、ジンクスは破られるはずだった。しかし、その同志社もまた、AO入試で不合格となった。
高校の先生から、また、予備校のスタッフから(こちらは出席の点に関しても相当しつこく言われた…もはや、拷問ものだとまで言い切れるぐらい。それに耐えた自分は果たして今の現状に納得しているかというと、そうでもない。大学でも同じような状況が続くことがあるからだ)、責められる毎日。
ここまで堕落していった理由を考えてみる。
第一に、女。第二に、ボンボン故の成功体験の軽視。第三に、短気。
第一の理由は、もはや改善不能な域まで達している。精神病院でも行かないと治らないのではないかと、自分でも思うぐらいだ。出会い系サイトにまで手を出しているのだから、そうなっても仕方がないかもしれない。
第二の理由も、またそうだ。これまで、出会い系に20~40万近く注ぎ込んであるのかも知れない(サクラとの対峙ということもあってか)。それは、ボンボンである故に何とか借金もせずに生き残っている何よりの証拠だ。
その後の第三の理由も然り。何とかいいことにつなげたかったが、その材料もない。
それ故、今はその過去の記憶を忘れるようにして生きている。故に、バイトはその記憶を薄める逃げ道にもなっていた。
ただ、本格業務一日目と今日、先のリスカの画像を見た。本当の意味でのグロテスク。あの記憶が、少し蘇ってきた。
「死ね」「ボケ」「キモイ」…こういう言葉は当たり前のように使われていた東京での中学・高校時代。
初めは生徒会経験者としてやや威張った部分もあったかも知れない。その性格が表に出ると、すかさず学級委員から「何やってるの?」とお達しが。
先生との交換日記。そこにはこういった趣旨の言葉が書かれていた。「今は慣れることが重要じゃないかな。」
いじめは、既に始まっていた。
いじめのパターン、そしてその後の行動は、中学・高校と違ったものになっている。
中学では逃げるパターンが多く、高校ではすぐにキレる(反論するのではなく、ただキレるだけ)パターンが多かった(高校後半ではやや違ったパターンも出てくるが…)。
その逃げの最終局地が、窓からの飛び降りである。ただ当時、多かったのは2F辺りからの飛び降りで、余程運が悪くない限り、到底死ねる高さでもなさそうだった(今冷静に考えれば)。
その頃、既に人間不信に陥っていた私に、告白された。
「付き合って下さい!」
ただ、周りにはグルらしき男女が数人。間違いなく怪しい。今のどっかしらの政府か警察が、国民を完全に監視しているのと同じように、もし付き合ったら私が利用されるのではないか。
一瞬でそう判断した。そして、こういうように、あっさり斬り捨てた。
「お前ら、なんか企んでいるだろ!?こんな事、断る!!」
そしたら、私の確信がウソではなかったかのような台詞が、彼女の口から飛び出した。
「なぁ~んだ。残念。」
…どう見ても、調子乗っているとしか思えない。人生初の彼女とは行かなかったが、今でもその判断は間違いでなかったと、胸を張って言える。そう思う。
もし付き合っていたら、今頃この世には、私は存在していないかも知れない。
彼女には気の毒だが、それしかなかった(最も、断ったとき(又はその前後)、泣いてもいなかったため、策略と見てまず間違いなさそうだが)。
記憶が曖昧なのだが、そして今では信じられないかも知れないが、思い出したところでは、もしかしたらリストカットまがいのことをやったかも知れない。その辺の真偽は定かでないのだが、そこまで追い詰められていたのは間違いない。
一方で、当時から、既にあきらめの気持ちさえ芽生えていた。心の中では、ある意味笑っているのだ。本意ではないかも知れない。そう思っていた。
中学校後半は、ようやく得意としていたパソコンクラブに入部。そこで出会った同じいじめられっ子仲間(太った奴2人組だったか)との出会い。そしてクラスでは、こんなちっぽけな自分をかばう、一人の男の存在。それが少しだけ、人生を何とかいい方向に持って行こうとする足がけともなっていた。
前者は、私にカウンセリングに行くよう薦められた。当時、そのカウンセリングルームには男性カウンセラーが悩みを持つ中学生みんなの話を聞いていた。
私は初めその人との会話もまともに出来なかったが、しばらくしている内に溶け込んでいった。
詳しい話は忘れてしまったので書かない。ただ、ここに来ると少しは気が楽になったことだけは確かだ。その後、高校で箱のカウンセリング自体存在せず、大学で再び(違うカウンセラーながら)始めることになる。今も毎週のように、通っている。
もう一つ、後者の存在。これは大きかった、彼には感謝しても感謝しきれないものがある。
幾度となく訪れた危機を、助けてくれた。
時にはいじめる側に回ったこともあったが、なるべく中立であろうとした。
でも、一度芽生えた人間不信は治ることがない。彼等の存在があったとしても。
それは、高校時代(特に予備校で出会った一人の先生)に結果となって現れる。
…実は、正直に申し上げると、中学校時代の具体的ないじめの内容は殆ど忘れてしまった。
その理由の一つに、先に書いた"あきらめ"があると思う。心の中で笑っている。消化しきっている。そのせいなのかも知れない。
本来、この事実を書いて、皆さんに考えてもらう為に筆を入れているのだが、どうにもその内容がまとまらない。本当に、忘れてしまったのか。
第二次世界大戦も、ある種では第一次世界大戦の記憶の忘却から始まった様なものだ。
いじめも然り。また起きるかも知れない恐怖。なのに、忘れてしまったのか。
これを読む為にわざわざ時間を割いて下さっている皆様方には大変申し訳なく思っている。落胆された方も少なからずいらっしゃること事だろう。
本当に、今一番起きてはならない事態に、直面している。
ただ一つ、印象的な出来事がある。
それは、高校の面接前、前々日当たりか。鬼ごっこか何かで遊んでいたとき(そんな事をしている場合でもないのだが)、工作室で頭を強打する大事故が発生した。
当時鬼になったか、いじめられたかで、追いかけられたように記憶しているが、その辺の記憶も曖昧だ。
幸い、記憶中枢部などへの損傷はなかったが、もし当たりが悪ければ、今頃私は植物状態、いや、この世から姿を消していたかも知れない。そうとも言われた。
ただ、何とか無事に乗り越えた。包帯姿で、面接もした。その学校に受かった。
しかしながら、もしかしたらその事故は、私の体に、さらなる"障害"をもたらしたのかも知れない。引いては、先の"具体的ないじめの内容の記憶喪失"にも繋がっているのかも知れない。
そして、受かった高校もまた、不幸を呼び寄せるところになるとは、当時思いも付かなかった。
カウンセリングも、私のことを見てくれている人も、誰もいない。
"完全アウェー"の高校時代が、この時、始まった。




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